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2010年8月20日金曜日

8月のお勧め図書

氷の海に8時間
/ 高橋 宏幸 著


 戦時中、アメリカの潜水艦の魚雷を受けて、日本兵士を乗せていた船が沈没しました。そして氷の海に投げ出された一人の兵士の、死との戦いが始まったのです。






あれも、これも、おいしい手作り生活
/ まめこ 著


 お店で買ってくる食品が手作りできます。ラー油、マヨネーズ、納豆、ソーセージ、ナンプラー、キャラメルなど。自分で作れる驚きのレシピが盛り沢山です。

元陣屋の絵図に見る秋田藩の苦悩


 幕末の安政2年(1855年)以降増毛に秋田藩の元陣屋が設営され、北方警備の拠点として機能していたことはよく知られています。南下するロシアの脅威に備え、蝦夷地の各地に東北諸藩が派兵され、警備にあたっていたのです。

 さて、ここに一枚の絵図があります。「マシケ御陣屋御任地面境内略図」と題されたもので、陣屋を中心とした地理的状況が描かれています。縮尺の誇張はありますが海岸線や土地の起伏は細部まで比較的正確に描写されているようです。陣屋の東側には小さな川が流れており、その先には池のような形になっていますが、これは現在の稲葉川です。

 箱館奉行の巡検に随行した仙台藩士の玉虫左太夫は増毛の陣屋を見て「海岸から遠く、低い平地にあって、なぜこのような見晴らしの悪い場所に陣を構えたのかわからない」と日記に記しています。防衛上の戦略を考えれば海岸よりも一段高い場所を選ぶのが当然であり、これでは有事の際に周囲から攻められればひとたまりもないというわけです。一方で海岸から奥まった場所で斜面の影という位置は風当たりが弱く、冬期間の寒さを凌ぐには都合の良い立地であるという側面もあります。文化年間の北方警備で津軽藩が多くの犠牲を出した教訓から、秋田藩は藩士の健康面を一番重要視していたのかもしれません。

 図中に「朱引内御任地」と書かれてある通り、実際の絵図では秋田藩の領地となった土地が赤い線で囲まれており、陣屋警衛にあたってその力の及ぶ範囲が図示されています。注意してほしいのは秋田藩が沿岸の警備をその重要任務としているにもかかわらず、運上屋や船附場がある海岸地帯はその朱引の線の外側にあるということです。これはつまり、漁場のある海岸線一帯は場所請負制度のもとで漁業を行っていた商人の管轄下に置かれており、秋田藩は漁場経営に関与することができなかったことを如実に表しています。藩が飢饉や災害で苦しい財政の中、目の前の豊富な資源を掌握できない歯がゆさ、最善とは言い難い陣屋構築とも相まって、秋田藩の悩みは大きかったのではないでしょうか。そんな情勢がこの図には表れているように思えます。

2010年8月8日日曜日

レコード展、始まりました。


■特別展 「昭和歌謡・レコードに耳を澄ませば」
■期 日 8月8日(日)~8月29日(日)
■休館日 毎週月曜日

 本日より、元陣屋特別展が始まりました。昭和初期から昭和40年ころまでのレコードを展示し、流行歌や歌手、その時代背景について解説しています。また、会場内にはレコードプレーヤーも用意し、展示してあるレコードを実際に鳴らして聞くこともできるようになっています。


 こちらは学研の「大人の科学」から「ベルリナー式円盤蓄音機」。針とコップを使い、CDーROMやカップ麺のフタなどに音を録音・再生できるというものです。午後1時~2時の間にご来場いただければ実際に録音・再生を体験することができます。
 ※8月14日~16日は12時~13時までです。

 さて、ところでレコードはいったい誰が発明したのでしょうか。展示の導入部分から少しだけご紹介いたしますね。

■レコードを発明したのは誰?


・最初のレコードは筒型だった
 世界で初めて音を記録、再生する仕組みを作ったのは発明王として 有名なトーマス・エジソンです。彼は1877年12月6日、フォノグラフという機械を発表します。これは真鍮でできた円筒型のものに針で音を記録・再生する世界初の発明でした。「空気の振動を溝に凸凹で記録する」ことで、眼に見えない「音」というものを形に残すことができるようになったのです。

・エジソン VS ベルリナー の熾烈な戦い
 エジソンの発明したフォノグラフは画期的でしたが、円筒型であるため複製が難しいことや、破損しやすいなどの欠点を抱えていました。
 現在のレコードにつながる円盤型の録音機を発明したのはエミール・ベルリナーです。エジソンの発表から10年たった1887年、彼はグラモフォンという機械を発明します。最大の特徴は丸くて薄い円盤に音を記録できることで、これにより音源の複製が容易になり、他にも盤面にレーベルを貼ったり、省スペースで収納できるなどの利点がありました。また、音の溝を従来の縦方向ではなく横に振動するようにしたため、溝の深さが一定になり、音の安定性が格段に上昇したのです。
 エジソンはこれに対抗し、円筒をロウ缶にして音質を向上させたり、複製技術を開発したりして円筒式の蓄音機を作り続け、アメリカではエジソン方式が、ヨーロッパではベルリナー方式が主流となりましたが、結果的に大量生産に向いているベルリナーのレコードが一般的になっていきました。「誰が“レコード”を発明したのか?」という質問に関しては、蓄音機を発明したのはエジソンですが、いわゆる円盤型の“レコード”を発明したのはベルリナーである、ということが言えそうです。

 皆様のご来場をお待ちしております。